2007年8月16日 12:41
昔話の第5話
昨晩はメッセージサーバのプロセスが一個死んだ以外はほとんどトラブルがありませんでした。
ということで・・・以下略
昔話のつづきです。
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ここでニコニコ動画のサービスをどのように設計したかを話す前に、背景となるドワンゴの文化について説明したいと思います。
ドワンゴはもともとまだインターネットもなかったころにパソコン通信上で知り合ったプログラマやゲーマーが集まってつくった会社です。
リアルな世界の人間関係ではなくバーチャルな世界の人間関係がもとになってできた会社としては日本で最も古いのではないかと思います。ひょっとすると上場企業ではドワンゴだけかもしれません。ただ、設立当初は、開発の下請けが仕事の中心だったので、そんな取引先の信用をなくすような事実はひた隠しにされていましたけど。
で、もともとパソコン通信上で、なんの得にもならないのにフリーソフトとしてゲームを発表し続けていたような連中がメインエンジニアだったので、あまりベンチャー特有のぎらぎらした雰囲気はまったくなく、株式公開することも直前まで社員には秘密にしていました。みんなのモチベーションが下がることをおそれたからです。
かといって、あんまり志も高くなく、もともとはネットゲームが主力でDreamcast時代には日本のネットゲームの半分以上はドワンゴのライブラリが使われていたぐらいでしたが、着メロがあまりに儲かるし、要求される技術レベルがあまりにもネットゲームにくらべて楽ちんなので、あっさり主力ビジネスを携帯コンテンツに乗り換えて、現在にいたります。
今回はドワンゴとしては、ひさびさのPCプラットホームでのサービスです。
しかも以前やっていたのは、自分でゲームサーバを一からつくることであって、他人がつくったサーバを組み合わせて大規模なWEBサービスをつくるのは初めての経験です。
そもそも人気のあるサービスはどれぐらいのアクセスがあるものなのか、どうやってプロモーションをしていけばいいのかもよくわかりません。
そのあたりの情報やノウハウはひろゆき氏から聞くことにしました。また、ついでにWEB2.0とかロングテールとか、ネットビジネスの世界では有名らしい用語もひろゆき氏に解説してもらい、はじめて知りました。
ニコニコ動画に関してひろゆき氏が最初に主張したのは、もう、だいぶ出来ているし、とっととサービス開始しちゃいましょう、ということです。
たぶん、ひろゆき氏の意見がなければ、これまでのドワンゴのやりかただと、サービスの完成度をあげて発表するまでに1年以上はかかっていたと思います。
完成度の低い状態でサービスを開始していって、ユーザーの意見をとりいれて改良していくことでユーザと運営側で一体感を生み出しコアファンを獲得する。それが彼の基本戦略でした。
サイトのコンセプトは「やる気のなさ」に決まりました。
全力をあげてやる気のなさを演出するということがテーマです。既存のネットサービスは、「はい、こういう新しいコンセプト、ビジネスモデルを考えました、どうですか?面白いでしょう?すごいでしょう?」と自己主張しているものが多いように見えたのです。
そしてそのメッセージが向いている方向はユーザではなく投資家です。ユーザにとっては面白くもなければすごくもない。サイト名称のつけかたひとつとっても、下心が透けて見えます。
われわれはそういった現在のネット業界の常識、定石をすべて完全否定するところからスタートすることにしました。
名称もいかにもいいかげんに名付けたようにしかみえない(実際に5秒できまった)ニコニコ動画にしました。永遠のβサービス?ふざけんな、ということで、名称にはβではなく(仮)をつけることにしました。
youtubeをはじめとする国内外の動画サイトの機能比較表もつくりましたが、だいたいどこのサイトもサポートしているような機能はすべて切り捨てることにして、トップページをみた瞬間に既存の動画サイトとはまったく違うことが分かることにこだわりました。
動画のサムネイルの横には最新コメントを表示するようにしたのもそのためです。くわえて、ニコニコ動画(β)のときに中止しましたが、ニコニコ動画(仮)ではトップページに飛んだとき、はてブTVのようにニコニコの最新コメントがページ全体を横切るようになっていました。
デザイナーの中川君もそういった空気を的確に読み、脱力系のデザインをつくっただけでなく、勝手に左上に自分のGIFアニメコーナーをつくってしまいました。
戀塚くんの動画再生プレイヤーのUIのブラッシュアップについて話します。盛り上がるところではコメントで画面がうめつくされて画面が見えないというのが逆に面白いだろうというのは、当初からの予想でしたから、そういう状態にもっていくためにいかにストレスなくコメントできるかということに彼は注力しました。
コメントを重ねずにできるだけたくさん表示するためにコメントの表示幅と時間軸をXY軸にみたてた平行四辺形上で幾何学的に衝突判定をするアルゴリズムをつくりました。表示時間を一定にすることにより、コメントの長さによって流れる速度を変えて、視認性を高めました。このことは期せずしてコメントアートが成立できた条件をつくりました。
AAを画面に横切らせることができるように複数行の入力に対応しました。(荒らしに悪用されるので後に廃止)
また、字幕をつけたりニュース速報とか、地震速報ごっこができるように画面の上下にコメントを固定表示できる機能もつけました。
このあたりはわりあい最初からつくっていたのですが、実際にサービスとしては、基本機能にユーザが慣れたあとに、どんどん機能追加されていくほうがユーザが定着しやすいというひろゆき氏の意見があり、小出しにリリースしていくことになりました。
色や文字の拡大縮小もできるようにしましたが、あえてGUIは用意せずテキストでのコマンド入力でやるようにしました。
これはあくまでコメントを気軽にやってもらうために、動画編集ツールっぽくユーザに見えることを嫌ったためです。この部分の欠陥は後発の類似サービスがニコニコ動画との差別化ポイントとして最初に思いつく可能性も高いから、競合サイトが編集ツールの方向へ進化するような罠としても残しておいたほうがいいというのも狙いでした。
動画一覧は2ちゃんねるを参考にして最新コメント順に表示することにしました。コンテンツの新陳代謝という点で2ちゃんねるの仕組みは優れており、そのままパクるのが安全で楽ちんだという判断と、動画サイトに利用してもパクリというよりはむしろ新鮮なインターフェースにしかみえないだろうという計算が働きました。
もちろんニコニコ動画を成功するためにはこういった新しいサービスに真っ先にとびつく2ちゃんねるユーザーに支持されなければならないと考えていたことも理由のひとつです。
サービス開始はほぼサービスイメージが固まった1ヶ月ちょっと先のニコニコというリズム的にゴロがいい12月12日に決定しました。1ヶ月以上も間をあけたひとつの理由は、コメント共有という新しい概念において重要とおもわれる技術要素を洗い出し特許化の作業をおこなうためです。
事業主体はひろゆきと共同でつくったニワンゴでおこなうことにして、ニワンゴでnicovideo.jpのドメインを取得します。
しかし、サービス開始時にはひろゆきもニワンゴも関わりを一切ふせてプロモーションすることにしました。
最初の宣伝方法はスタッフで掲示板やブログに書き込むことだけです。
そして12月12日がやってきました。ここで予想していたことがひとつと予想してなかったがひとつ起こります。
予想していたことはサーバトラブルで初日は結局サービスできなかったこと、予想していなかったことは、ドワンゴ社内から2ちゃんねるへの書き込みはブロックされていたことです。
-------------------------------つづく
次回はニコニコ動画(仮)時代のことと、ニコニコ動画(β)がはじまる直前までを書いて最後としたいと思います。
ちなみに前回書いた戀塚くんの病気の話は本当で、現在も、時々、徹夜したあと吐血したりしていますが、最近の社内ではあまり同情されていません。というのも、毎回、徹夜して斃れる直前にみんなに送られてくる彼からのメッセの内容は新機能ができたしらせでもなければ、バグがなおったわけでもなく、彼がニコニコ動画で見つけた面白い動画のURLなのです。
どうみてもただの自己コントロールのできないニコ厨です。本当にありがとうございました。
どうせ斃れるなら開発をして斃れてくださいというのがスタッフの総意だということを、この場を借りて本人に伝えさせていただきたいと思います。
ということで・・・以下略
昔話のつづきです。
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ここでニコニコ動画のサービスをどのように設計したかを話す前に、背景となるドワンゴの文化について説明したいと思います。
ドワンゴはもともとまだインターネットもなかったころにパソコン通信上で知り合ったプログラマやゲーマーが集まってつくった会社です。
リアルな世界の人間関係ではなくバーチャルな世界の人間関係がもとになってできた会社としては日本で最も古いのではないかと思います。ひょっとすると上場企業ではドワンゴだけかもしれません。ただ、設立当初は、開発の下請けが仕事の中心だったので、そんな取引先の信用をなくすような事実はひた隠しにされていましたけど。
で、もともとパソコン通信上で、なんの得にもならないのにフリーソフトとしてゲームを発表し続けていたような連中がメインエンジニアだったので、あまりベンチャー特有のぎらぎらした雰囲気はまったくなく、株式公開することも直前まで社員には秘密にしていました。みんなのモチベーションが下がることをおそれたからです。
かといって、あんまり志も高くなく、もともとはネットゲームが主力でDreamcast時代には日本のネットゲームの半分以上はドワンゴのライブラリが使われていたぐらいでしたが、着メロがあまりに儲かるし、要求される技術レベルがあまりにもネットゲームにくらべて楽ちんなので、あっさり主力ビジネスを携帯コンテンツに乗り換えて、現在にいたります。
今回はドワンゴとしては、ひさびさのPCプラットホームでのサービスです。
しかも以前やっていたのは、自分でゲームサーバを一からつくることであって、他人がつくったサーバを組み合わせて大規模なWEBサービスをつくるのは初めての経験です。
そもそも人気のあるサービスはどれぐらいのアクセスがあるものなのか、どうやってプロモーションをしていけばいいのかもよくわかりません。
そのあたりの情報やノウハウはひろゆき氏から聞くことにしました。また、ついでにWEB2.0とかロングテールとか、ネットビジネスの世界では有名らしい用語もひろゆき氏に解説してもらい、はじめて知りました。
ニコニコ動画に関してひろゆき氏が最初に主張したのは、もう、だいぶ出来ているし、とっととサービス開始しちゃいましょう、ということです。
たぶん、ひろゆき氏の意見がなければ、これまでのドワンゴのやりかただと、サービスの完成度をあげて発表するまでに1年以上はかかっていたと思います。
完成度の低い状態でサービスを開始していって、ユーザーの意見をとりいれて改良していくことでユーザと運営側で一体感を生み出しコアファンを獲得する。それが彼の基本戦略でした。
サイトのコンセプトは「やる気のなさ」に決まりました。
全力をあげてやる気のなさを演出するということがテーマです。既存のネットサービスは、「はい、こういう新しいコンセプト、ビジネスモデルを考えました、どうですか?面白いでしょう?すごいでしょう?」と自己主張しているものが多いように見えたのです。
そしてそのメッセージが向いている方向はユーザではなく投資家です。ユーザにとっては面白くもなければすごくもない。サイト名称のつけかたひとつとっても、下心が透けて見えます。
われわれはそういった現在のネット業界の常識、定石をすべて完全否定するところからスタートすることにしました。
名称もいかにもいいかげんに名付けたようにしかみえない(実際に5秒できまった)ニコニコ動画にしました。永遠のβサービス?ふざけんな、ということで、名称にはβではなく(仮)をつけることにしました。
youtubeをはじめとする国内外の動画サイトの機能比較表もつくりましたが、だいたいどこのサイトもサポートしているような機能はすべて切り捨てることにして、トップページをみた瞬間に既存の動画サイトとはまったく違うことが分かることにこだわりました。
動画のサムネイルの横には最新コメントを表示するようにしたのもそのためです。くわえて、ニコニコ動画(β)のときに中止しましたが、ニコニコ動画(仮)ではトップページに飛んだとき、はてブTVのようにニコニコの最新コメントがページ全体を横切るようになっていました。
デザイナーの中川君もそういった空気を的確に読み、脱力系のデザインをつくっただけでなく、勝手に左上に自分のGIFアニメコーナーをつくってしまいました。
戀塚くんの動画再生プレイヤーのUIのブラッシュアップについて話します。盛り上がるところではコメントで画面がうめつくされて画面が見えないというのが逆に面白いだろうというのは、当初からの予想でしたから、そういう状態にもっていくためにいかにストレスなくコメントできるかということに彼は注力しました。
コメントを重ねずにできるだけたくさん表示するためにコメントの表示幅と時間軸をXY軸にみたてた平行四辺形上で幾何学的に衝突判定をするアルゴリズムをつくりました。表示時間を一定にすることにより、コメントの長さによって流れる速度を変えて、視認性を高めました。このことは期せずしてコメントアートが成立できた条件をつくりました。
AAを画面に横切らせることができるように複数行の入力に対応しました。(荒らしに悪用されるので後に廃止)
また、字幕をつけたりニュース速報とか、地震速報ごっこができるように画面の上下にコメントを固定表示できる機能もつけました。
このあたりはわりあい最初からつくっていたのですが、実際にサービスとしては、基本機能にユーザが慣れたあとに、どんどん機能追加されていくほうがユーザが定着しやすいというひろゆき氏の意見があり、小出しにリリースしていくことになりました。
色や文字の拡大縮小もできるようにしましたが、あえてGUIは用意せずテキストでのコマンド入力でやるようにしました。
これはあくまでコメントを気軽にやってもらうために、動画編集ツールっぽくユーザに見えることを嫌ったためです。この部分の欠陥は後発の類似サービスがニコニコ動画との差別化ポイントとして最初に思いつく可能性も高いから、競合サイトが編集ツールの方向へ進化するような罠としても残しておいたほうがいいというのも狙いでした。
動画一覧は2ちゃんねるを参考にして最新コメント順に表示することにしました。コンテンツの新陳代謝という点で2ちゃんねるの仕組みは優れており、そのままパクるのが安全で楽ちんだという判断と、動画サイトに利用してもパクリというよりはむしろ新鮮なインターフェースにしかみえないだろうという計算が働きました。
もちろんニコニコ動画を成功するためにはこういった新しいサービスに真っ先にとびつく2ちゃんねるユーザーに支持されなければならないと考えていたことも理由のひとつです。
サービス開始はほぼサービスイメージが固まった1ヶ月ちょっと先のニコニコというリズム的にゴロがいい12月12日に決定しました。1ヶ月以上も間をあけたひとつの理由は、コメント共有という新しい概念において重要とおもわれる技術要素を洗い出し特許化の作業をおこなうためです。
事業主体はひろゆきと共同でつくったニワンゴでおこなうことにして、ニワンゴでnicovideo.jpのドメインを取得します。
しかし、サービス開始時にはひろゆきもニワンゴも関わりを一切ふせてプロモーションすることにしました。
最初の宣伝方法はスタッフで掲示板やブログに書き込むことだけです。
そして12月12日がやってきました。ここで予想していたことがひとつと予想してなかったがひとつ起こります。
予想していたことはサーバトラブルで初日は結局サービスできなかったこと、予想していなかったことは、ドワンゴ社内から2ちゃんねるへの書き込みはブロックされていたことです。
-------------------------------つづく
次回はニコニコ動画(仮)時代のことと、ニコニコ動画(β)がはじまる直前までを書いて最後としたいと思います。
ちなみに前回書いた戀塚くんの病気の話は本当で、現在も、時々、徹夜したあと吐血したりしていますが、最近の社内ではあまり同情されていません。というのも、毎回、徹夜して斃れる直前にみんなに送られてくる彼からのメッセの内容は新機能ができたしらせでもなければ、バグがなおったわけでもなく、彼がニコニコ動画で見つけた面白い動画のURLなのです。
どうみてもただの自己コントロールのできないニコ厨です。本当にありがとうございました。
どうせ斃れるなら開発をして斃れてくださいというのがスタッフの総意だということを、この場を借りて本人に伝えさせていただきたいと思います。
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