2007年8月16日 00:22
とりあえず無事なようなので、昔話第四話
今日はサーバ落ちなさそうです。
と書いてて落ちたらすみません。
さて、昔話ですが、もうやめにしようかと思いましたが、社内の一部から実際にニコニコをつくったのは俺らだという無言の圧力を受けましたので、もうすこし、つづけることにします。
しかし、思い返してみてもニコニコは本当に小説になるんじゃないかという出来事の連続でした。いつか、本とかにできるといいなあと思っています。まだまだ、今だと書けないことも多いですから。
ということで言葉をえらびつつ、つづけます。
------------------------------
ひろゆき氏へのデモは大成功で、これはある程度は流行るでしょう、という結論になりました。
そこで早速、ひろゆき氏をまじえて、今後、どのようにして、この動画サービスを世の中にだしていくかという議論がはじまります。
当然のように最大の関心事はyoutubeはこの動画サービスについてどういう反応をするだろうか?ということでした。
おそらく当面は考えなくてもいいだろうということでは、ほぼ全員の意見が一致しました。理由は以下のとおりです。
・ WEB2.0企業の代表といわれているyoutubeが自らの存在を否定するような行為(=アクセス遮断)を簡単にはできないはず。
・ 海外の企業は、極東の島国のベンチャーなんて基本的には馬鹿にしているから、少々のことでは無視されるにきまっている。
・ もし、われわれのサービスが有望だと思ったとしても、自分のサービスに生かそうとしばらく泳がすだろう。
というものです。
結論としては、よほど大成功して問題になるぐらいのトラフィックにならないとyoutubeはアクションをおこさない、で、問題になるぐらいのトラフィックを作るのはとても難しい。たとえ、もし、そうなったとしても、youtubeとかが買いにくるなら売ればいいし、 あるいは自力でやることも可能なぐらいユーザを囲いこめているかもしれない。どっちにしても、そのときはそのときで考えればいいじゃん。今、考えたってめんどくさいから、とにかくやってみよう、と決めました。
つぎに本格的なサービスに向けて開発チームの編成をしなければいけません。
2番目のプロトタイプをつくったのはUEIでしたが、もともとの企画チームはドワンゴ社内だったことと、今回の動画サイトはドワンゴの社運がかかる一大プロジェクトに発展する可能性があったので開発チームも自前で編成することにしました。
白羽の矢を立てたのは戀塚くんでした。ドワンゴ社内には個性の強いトップエンジニアが何人もいますが、あえてトップをひとり選ぶとしたら、バランスよくすべての能力が完璧な戀塚くんだろうというのは衆目の一致するところです。
そのトップエンジニアのはずの彼には当時仕事がなかったのです。
彼は数年前から治療法のみつかっていない病気に冒されていました。基本的に無理のできない体だったので納期のある仕事はまかせられなかったのです。
しかし、このプロジェクトはスピードは要求したいですが、別に納期や締め切りを決める必要はありません。
締め切りなし、パートナーも当初はつけず、すべて戀塚くんひとりが体調に負担のない範囲で彼のペースでやる。サービスの開発スケジュール、リリーススケジュールも戀塚くんのペースにすべて合わせる。そういう条件であれば、だいたい、一般的に優秀な開発チームの10倍ぐらいの速度でモノができてくるに違いないと期待したのです。
また、戀塚くんのパフォーマンスはユーザが実際にいて評判のいいサービスだと100倍ぐらいモチベーションがあがる特徴があります。数年前の2ちゃんねる閉鎖騒動のとき転送量を抑えるプログラムをUNIX板の有志が開発しましたが、彼もそのとき勝手に匿名で参加し、中心メンバーのひとりとなりました。社内テストの段階でウケまくること必至のこのユニークな動画サイトなら、彼の能力は最大限発揮できるにちがいありません。
果たして彼は仕事をアサインして数日後のUEIとの引き継ぎ会議のときには、なにを引き継ぐまでもなく、もう彼オリジナルの3番目のプロトタイプが、ほぼサービス可能なぐらいの完成度でサーバもクライアントも完成していたのです。
そしてそこから使い勝手をよくするUIのチューニングを黙々と開始したのです。作業は彼が血を吐くたびに数日とまりました。
-------------------------------つづく
次回はニコニコ動画(仮)の仕様がどのようにきまっていったのかですかね。そのあとニコニコ動画(仮)時代のはなしを書いて、つまりあと2回で終了としたいと思います。
と書いてて落ちたらすみません。
さて、昔話ですが、もうやめにしようかと思いましたが、社内の一部から実際にニコニコをつくったのは俺らだという無言の圧力を受けましたので、もうすこし、つづけることにします。
しかし、思い返してみてもニコニコは本当に小説になるんじゃないかという出来事の連続でした。いつか、本とかにできるといいなあと思っています。まだまだ、今だと書けないことも多いですから。
ということで言葉をえらびつつ、つづけます。
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ひろゆき氏へのデモは大成功で、これはある程度は流行るでしょう、という結論になりました。
そこで早速、ひろゆき氏をまじえて、今後、どのようにして、この動画サービスを世の中にだしていくかという議論がはじまります。
当然のように最大の関心事はyoutubeはこの動画サービスについてどういう反応をするだろうか?ということでした。
おそらく当面は考えなくてもいいだろうということでは、ほぼ全員の意見が一致しました。理由は以下のとおりです。
・ WEB2.0企業の代表といわれているyoutubeが自らの存在を否定するような行為(=アクセス遮断)を簡単にはできないはず。
・ 海外の企業は、極東の島国のベンチャーなんて基本的には馬鹿にしているから、少々のことでは無視されるにきまっている。
・ もし、われわれのサービスが有望だと思ったとしても、自分のサービスに生かそうとしばらく泳がすだろう。
というものです。
結論としては、よほど大成功して問題になるぐらいのトラフィックにならないとyoutubeはアクションをおこさない、で、問題になるぐらいのトラフィックを作るのはとても難しい。たとえ、もし、そうなったとしても、youtubeとかが買いにくるなら売ればいいし、 あるいは自力でやることも可能なぐらいユーザを囲いこめているかもしれない。どっちにしても、そのときはそのときで考えればいいじゃん。今、考えたってめんどくさいから、とにかくやってみよう、と決めました。
つぎに本格的なサービスに向けて開発チームの編成をしなければいけません。
2番目のプロトタイプをつくったのはUEIでしたが、もともとの企画チームはドワンゴ社内だったことと、今回の動画サイトはドワンゴの社運がかかる一大プロジェクトに発展する可能性があったので開発チームも自前で編成することにしました。
白羽の矢を立てたのは戀塚くんでした。ドワンゴ社内には個性の強いトップエンジニアが何人もいますが、あえてトップをひとり選ぶとしたら、バランスよくすべての能力が完璧な戀塚くんだろうというのは衆目の一致するところです。
そのトップエンジニアのはずの彼には当時仕事がなかったのです。
彼は数年前から治療法のみつかっていない病気に冒されていました。基本的に無理のできない体だったので納期のある仕事はまかせられなかったのです。
しかし、このプロジェクトはスピードは要求したいですが、別に納期や締め切りを決める必要はありません。
締め切りなし、パートナーも当初はつけず、すべて戀塚くんひとりが体調に負担のない範囲で彼のペースでやる。サービスの開発スケジュール、リリーススケジュールも戀塚くんのペースにすべて合わせる。そういう条件であれば、だいたい、一般的に優秀な開発チームの10倍ぐらいの速度でモノができてくるに違いないと期待したのです。
また、戀塚くんのパフォーマンスはユーザが実際にいて評判のいいサービスだと100倍ぐらいモチベーションがあがる特徴があります。数年前の2ちゃんねる閉鎖騒動のとき転送量を抑えるプログラムをUNIX板の有志が開発しましたが、彼もそのとき勝手に匿名で参加し、中心メンバーのひとりとなりました。社内テストの段階でウケまくること必至のこのユニークな動画サイトなら、彼の能力は最大限発揮できるにちがいありません。
果たして彼は仕事をアサインして数日後のUEIとの引き継ぎ会議のときには、なにを引き継ぐまでもなく、もう彼オリジナルの3番目のプロトタイプが、ほぼサービス可能なぐらいの完成度でサーバもクライアントも完成していたのです。
そしてそこから使い勝手をよくするUIのチューニングを黙々と開始したのです。作業は彼が血を吐くたびに数日とまりました。
-------------------------------つづく
次回はニコニコ動画(仮)の仕様がどのようにきまっていったのかですかね。そのあとニコニコ動画(仮)時代のはなしを書いて、つまりあと2回で終了としたいと思います。
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