ニコニコ動画のプロジェクトがスタートしたのは2006年の初夏にさかのぼります。当時、ドワンゴは主力事業である着メロ・着うたサイトが長期低迷をつづけていて、なにか一発逆転ホームランを打たないと会社に未来がないという状況でした。そこで携帯での巨大ポータルサイトをつくろうといくつかの秘密プロジェクトを開始しました。ニコニコ動画はそのうちのひとつのプロジェクトです。

当時、携帯のポータルサイトではすでにモバゲータウンが大成功をおさめていました。コミュニティではモバゲータウンに勝負するのは難しそうだったのでなにか別のテーマにしようとして最初にたどり着いたのがネットライブでした。

ネットライブは負荷分散と、できるだけユーザをあつめてもりあげるために、いまのニコニコ動画のような疑似リアルタイムで参加できる非同期ライブでした。つまり、同じライブにいつでも何回でも参加できて、あとで参加すればするほど、観客がどんどん増えていくというシステムです。

このネットライブの構想は実際にプロトタイプをつくるのもとても大変な話なので、開発者がもっと簡単なことからはじめたいということで大幅に妥協した結果がニコニコ動画となったのです。

ちなみにニコニコ動画と同じ疑似リアルタイムチャットの動画サイトとしてsynbieというサイトがニコニコ動画以前にありました。ニコニコ動画のプロジェクトに外部から参加していたUEIの清水氏が、synbieを紹介し、ニコニコ動画の企画が固まる前に、それをわれわれは見てしまっていたため、清水氏の依頼により、ニコニコ動画は当初、synbieへの謝辞をサイトに掲載していました。しかし、その後、コンセプトが異なるため、ニコニコ動画と一緒にされるのが不本意であるというsynbie側からの要望があったため現在は謝辞は外しています。

ニコニコ動画は革命的だったといっていただけることが多いですが、われわれにとってもそれは同じでした。というのもわれわれスタッフもニコニコ動画をなかなか本当に理解することができなかったからです。最初にプロタイプをつくってみて、ほぼ全員が面白いと直感しましたが、ほとんどのスタッフが、おそらく面白いのは最初だけで、すぐに飽きて、コメント表示が邪魔になるだろうと予想したのです。

コメントが多くなると、全部のコメントを読むのがほとんど不可能に近いというのもストレスでした。別に全部読まなくてもいいということをカラダで理解することができたのはしばらくたってからの話です。ニコニコ動画はユーザの進化を要求するサービスだったのです。しかし、そのことが完全に理解できるようになるのはサービス開始後、2ヶ月ほど必要でした。

かくして、社内の内輪ではもりあがったものの、本当に世の中で成功するかみんなの意見は割れたままサービスを開始することになります。PCのサービスをやったことがないドワンゴではまったく予想できるひとがいません。ひろゆきの意見だけが頼りです。彼は150万人ぐらいはユーザを獲得できる可能性は十分にあると断言しました。本当にそんなに集まるのか、ほとんどのスタッフは当時は期待していなかったのが実際のところです。

このあたりのくわしい経緯については今年のお盆休みの開発ブログで数回に分けて書いてあります。
よろしければご覧ください。

開発者ブログから
昔話その1
昔話その2
昔話その3
昔話その4
昔話その5
昔話最終話