いつもニコニコ動画をご利用いただきありがとうございます。

本日でニコニコ動画は2周年となりました。さすがにニコニコ動画(仮)の時代を知っているユーザのみなさんは、もう少数派になっていると思いますが、この2年間ずっと、ニコニコ動画は、いつ潰れるのかと心配されつづけてきました。現在も赤字で潰れるんじゃないかと心配していただいているユーザのみなさんも多いです。

われわれ運営は潰すつもりも潰れるともほとんど思っていなかったのですが、正直、ちょっとやばいかな、と思っていた時期が3回ほどありましたので2周年を機会に公開します。


1回目は、まだ大ヒットしていなかったニコニコ動画(仮)の時代です。まあ、これはあたりまえです。

2回目はご存じYouTubeに切断された2007年2月から4月にかけてです。

最後の3回目の危機が実はもっとも深刻でした。このことはわれわれ運営でもごく一部の人間しか知らないのですが、2007年7月から10月にかけてのRC時代にニコニコ動画は本当になくなるかもしれない大危機に直面していました。

複数の団体・企業がニコニコ動画を訴訟する直前までいっていたのです。もしあの時点で訴訟されていたら、ニコニコ動画は、まず持ちませんでした。

さて、ここからいつもの昔話がはじまると期待したひとは残念ですが、いろいろ生々しすぎて詳細は書きませんし、書けません。

ですが、結果的には訴訟はひとつもなく、ニコニコ動画はいまも存在しています。


ここではニコニコ動画を救ってくれた恩人を2人だけ紹介したいと思います。ひとりはエイベックスの松浦社長、もうひとりはJASRACの菅原常務理事です。

残念ながらネットではいろいろと攻撃されることの多い2人ですが、ニコニコ動画が潰されずにいまあるのはこの2人のおかげです。

とくに菅原さんには「JASRACと和解してもニコニコ動画はあくまでユーザ側に立たないといけない。JASRACを敵にしていい。我々は叩かれるのは慣れていますから」とアドバイスまでいただきました。もちろんそんなことまでいわれて、われわれがニコニコとそのとおりできるわけがありませんが。

実際のところは、この2人以外にもたくさんのひとがニコニコ動画の味方になっていただけました。われわれも知らないひともたくさんいたことでしょう。

音楽業界、ゲーム業界、アニメ業界、放送業界、霞ヶ関や永田町にもたくさんの隠れたニコ厨のみなさんがいて、ニコニコ動画は残したほうがいいと、見えない後押しをしてくれたのだと思います。そしてその背後にはもちろんユーザのみなさんの膨大な熱気がありました。

RC時代にあったニコニコ動画最大の危機をのりこえられたのは、こうしたすべてのみなさんのおかげです。ニコニコ動画の2回目の建国記念日を期に、この事実を紹介させていただくとともに、われわれ運営から最大限の感謝をささげたいと思います。

2008年12月12日 ニコニコ普及委員会一同